10月のツアーが台風の影響で中止になったため、今回のツアーは無事に開催されることを祈りながら当日を迎えました。 「市民活動について知る」をテーマに芋煮をしたり美術館を訪れたりして、食欲の秋と芸術の秋を満喫するという内容でした。
グッディマーケット訪問
福島駅に集合して、まずは毎週日曜日に開催されている「グッディマーケット」を訪れました。グッディマーケットは福島の生産者が消費者との距離を縮めようと毎週日曜日に 直売する市場です。新鮮な野菜や果 物や加工品がお手頃価格で購入できます。そこには2昨年前のツアーでぶどう狩りに行った佐藤果樹園の佐藤さんも出店されていて、以前の参加者と再会されて喜んでおられました。今年最後のぶどうのネオマスカットとピオーネをいただき、他の生産者さんからも季節の果物をランチのために購入しました。
次に、飯坂電車に乗り、福島県立美術館のそばにある「如春荘」に向かいました。そこには、グッデイマーケットの運営と 如春荘の管理をされている佐藤宏美さんと地元の方々が私た ちを出迎えてくれました。
如春荘で芋煮を楽しむ
「如春荘」はよく手入れされていた古民家でした。佐藤さんの お話では、当初は雑草だらけだったところを皆で協力して掃除と整理をして使えるようにしたそうです。昔懐かしい建物、部屋から見える景色、何気なく活けてある野の草に自然に心が癒されて、幸せな気持ちになりました。
私たちの到着する前に、佐藤さんたちが芋煮の準備をしてくださっていて、私たちはおにぎり作りと果物の皮むきとセッテイングをしました。皆揃って「いただきまーす」。「福島のお米は美味しい! ! 」と、感動しながら、塩握りと味噌握りをいただきました。ぶどう、りんご、キウイ、全て美味しく、お腹も心も満腹になりました。
食後は、参加者の近況報告の時間。避難移住者からは、いわきに帰り台風の被害が大きかったことや対応に懸念していること。避難移住先での仕事の再配置でストレスを感じていること。災害を通じて命を守る力が大切であることを実感しているとの話。そして、福島側の参加者の中からは、京都から福島に移住し、今は田んぼ作りや如春荘での活動通じて、ゆるやかにつながりながら、場を盛り上げていきたいと思っているとのお話。主宰の佐藤さんからは京都から福島市に戻り転職して、今は自然農業をしている話も伺いました。
互いに打ち解けた後で、お招きしていた福島大学総合教育研究センター特任准教授であり「一般社団法人ふくしま学びのトワーク」代表の前川直哉先生のお話を伺いました。
前川直哉先生のお話 阪神淡路大震災を体験して
うちは喫茶店を経営していました。阪神淡路大震災が起きたのは私が高校3年生の時でした。特に尼崎や西宮の被害が大きく、実家の喫茶店が被害を受けて自営業が潰れました。当時神戸の灘中高に通っていました。学校は、震災後によく報道された崩壊した高速道路から約1キロくらいのところにあり、あの時、日常が壊れたことを経験しました。
震災当時、受験生で、(震災が起きたのはセンター試験の2日後。2次対策に取り組む時期)家庭の経済状況を考えると、自分が大学に進学してよいのか悩みましたが、周囲の支えがあり、第一志望校の東京大学に無事入学できました。その後、民間の塾に就職して、2007年灘中・高の非常勤講師になり日本 史を教えていました。 東日本大震災で繋がる2011年、東日本震災が起きた時も灘校に勤めていました。震災を経験をしているので、なんとかしたいと思い、2011年8月に同僚と二人で釜石行き、泥かきのボランティアをしました。「5ヶ月経っているのに、津波の被害で町がぐちゃぐちゃになっていて津波の被害をすごさを改めて実感しました」。
生徒たちにボランティアの話をすると、興味を持って行きたいという声がありました。思い返せば、阪神淡路大震災(1995年)から16年。ちょうど0歳だった子どもたちが高校生になっている。その間にいろんな人に助けられて神戸の街は良くなったと聞いている子どもたちにとって、東北でのボランティアは意味があることと考え、ボランテイアを募りました。
2012年3月の春休みの期間中に、まずは、宮城県の山元町を訪れました。次に高校のOB先輩の紹介で福島県の南相馬も訪 問しました。紹介してくれた先輩は東大の医科学研究所から南相馬に行き医療支援をしていました。山元町から南相馬に移動して2日間ボランティアをし、相馬高校の生徒たちとの交流もしました。「それまで福島のことをテレビで見るだけの生徒たちが交流をすることによって福島との距離が縮まった」と感じました。
その後から、灘高の生徒と春・夏・冬に合宿で3泊4日福島を訪問するようになり、様々な方々のお話を聞きました。合計26回、300人ほどが訪れました。引率をしている間に、福島が好きになって、福島で働きたいと思いました。そして、自分の担任している学生が卒業する2014年に福島市に引越してきました。
「ふくしま学びのネットワーク」の発足
2014年から、ひとりNPO「ふくしま学びのネットワーク」を立ち上げました。これまで福島県の高校生を対象に無料セミナー 「夢をかなえる勉強法」を13回開催してきました。知り合いの先生方に声をかけて福島の子ども達に教えています。昔は合宿もしていました。灘高校で英語を教えている木村先生は、最初に福島行きを伝えた先生です。先生に声をかけると、「手伝ってやるわ。」と快く引き受けてもらえました。もちろん交通費も謝金も払っていません。「福島の子たちは、英語を話せるようにならなければならない。伝えたいことがあれば、海外に伝えなきゃいけない。そうしないと世界で同じことが起こってしまうよ。」と、そんな熱い想いを持って教えています。(他にも、代ゼミで現代文を教えている藤井先生やプリパスで数学を教えている数理先生もセミ ナーの講師をされています。)
時に、なんのために学ぶのがわからなくなり、自分のためにといってもそれが勉強する理由になりづらい時があります。 なぜなら今やっている勉強が将来使えるかわからないからです。そんな時に、「勉強すると力になりたい時に活躍できる よ。」と言うと、福島の子どもたちには響くんです。「ずっと誰かの支える人生は嫌だ。そのためには勉強が必要だ。」と考えるからです。そんな子どもたちの夢を体実現したいと思っている大人がいる。そんな学びの場があるのはいいことだと思っています。これまで2000人ほどが参加しています。
福島が熱い。。。
福島県内全体が震災で影響を受けた後に、この社会を変えていこうと、自分なりに考え、それを実行に移している福島県立高校の生徒がいました。外部被曝に関して調べ、英語で学会で発表したのです。「灘高校は負けている。福島高校に負けている。」 と心から思いました。福島の高校生はすごいと思いました。
教育業界で話題のPBL(Problem Based Learning)問題解説型学習や21世紀型学習に教室で取り組んでいる子ども達がいる中で、福島の子ども達は課題を見つけ自分たちで解決しています。私は、2014年から「ふくしま高校生社会貢献活動コンテスト」を実施してきました。現在は、福島県教育委員会とも一緒に行っています。これは、福島の高校生を対象に、地域や社会を良くしようとする活動のコンテストです。
応募者の中には、震災時にカンボジアの貧しい村人から寄 付をもらったことに感動して、そのお礼に、絵本を集めカンボ ジア語に翻訳して送る活動をした高校生たちがいたり、担い手のいない農業と障がい者の働く場を連携する農福連携の取り組みをした農業学校の高校生等、様々な取り組みをしている高校生が福島にはたくさんいるのです。
「福島にいても安心して学べる」
偏差値や、ペーパーテストは意味がなくなるだろうと思います。将来、AIが入ったら機械には勝てないのです。ペーパーテストを解くことに長けた人はいらなくなります。原発事故が起こり、原発は東大や京大で忖度できる人―つまり相手が望んでいる答えを考える人― が作ったのに、あの事故は、防げなかったのです。学歴エリートが予想できなかった事故。私は、6 年前ここに来たのが正しかったなと思います。なぜなら、福島にしかできな いことことがあるからです。課題はここにはたくさんあり、学びの場として福島はとても魅力的な場所なのです。
ここで活動した子どもたちが大都市で育ったきた子どもたち以上にこれからの社会を作って行くと思います。そして、世 の中を変えて行くのです。
だから、「福島にいても安心して学べる」ーー私はそのように思います。
子ども達は震災と原発事故が起こり、大人たちが、「まず子供を守れ」と行動していた姿を見ていました。県内で、避難先でも、子どもたちのために活動していたその大人の姿を子ども 達は見てきたのです。それは大変だったことでしょう。
でもその中に学びがありました。「この社会って自分たちで 作っているんだ。」「人に頼って文句だけ言っている場合じゃない んだって。」サボっている大人もいたけど、頑張っている大人の姿もあったこと。そして、福島がちょっとずつ良くなっていることも。
洪水の被害のあった宇陀川の近く相馬東高校は台風の影響を受けました。福大の学生が自発的に相馬東高校に清掃活動に行きましたが、自分たちの学校は自分たちで片付けようとする意識の高さを感じました。
福島での暮らしそしてこれから。。
福島に来て、私たちのカラダと土は繋がっているんだと実感しました。すると、5センチを削ればいいんだという環境庁の人の発想は受験勉強により作られたのだと改めて感じました。原発事故の対応を見ている限り、社会を変えていかなければならないと思います。変わるのは難しいとは思いますが。
これから、もっといいものを作っていこうと思っています。 福島では思いのある人たちと不思議と繋がっていけるんです。それが本当に嬉しいです。本当にここに引っ越して来て良かったです。
如春荘から美術館へ
前川先生のお話に参加者全員が感銘を受けて、「もっと話を聞きたかった」とアンコールの嵐でした。
あっという間に時間がすぎ、如春荘を後にし、少し葉が色づき始めた県立美術館の庭を散歩し、白河市出身の洋画家「関根 正二展」を見学しました。短い生涯に多数描きあげた作品。自らの人生に置き換えながらその一つ一つを大切に鑑賞しました。
イチョウ並木を歩きながら1日を振り返り心に残ったことを語り合いました。帰りも2両 編成の飯坂電車に乗りあっという間に福島駅到着。またの再会を約束して解散しました。
避難移住先で子どもの進 路を考える時、偏差値や大学の数で子供の将来を決めがちになり、福島に帰還することを躊躇してしまう。そんな悩みに答える形で、福島でしか学べないことがあると断言された前川先生。壊れてしまったコミュニティの課題を探し解決法を考え実践していく。そんな最先端の学びの場が福島にあることを知れたことが嬉しい発見でした。貴重なお話をありがとうございました。