2022年1月9日、新年初のふるさととつながろうツアーを開催しました。昨年コロナ禍の中で、中止になった飯館村の視察を工程に入れて、飯館村で大切にされている「までいライフ」を学ぶことや飯館村の未来を共に考える機会になればと思い計画しました。
県北地方は、年末から積雪量が多かったので、アクセスを考え、見学などは省き、飯館村在住の2名からお話をお聞きする内容に変更しました。加えて、案内役の東和町在住の菅野さんが二本松市民と浪江町民の方との新春交流会のスタッフであることから私たちもその交流会を手伝うことにしました。
10時半に福島駅を出発して1時間ほどで、浪江町の避難者の方が居住する県営石倉団地に到着しました。すでに会場の準備ができていて、菅野さんに紹介され、私たちは関係者の方の前で自己紹介をしました。そしてスタンバイしてスタートを待ちました。待っている間に餅まるめの手伝いをしました。
徐々に県営石倉団地の居住されている浪江の方々が集まり、餅つきが行われました。二本松在住の方々や団地住民の方々と一緒につく餅。皆で掛け声をかけながらあっという間につき上がりました。交流会の中で、参加者の方々から現在の状況を伺ったり、室内で行われた団地の代表と地元の方との話し合いに一部参加して、団地住民の抱える問題点などについて伺いました。
まだ帰還できない地域の方がおられる一方、帰還解除に戸惑われておられる方もいて、家族により抱えている問題点も異なり、簡単に解決できることではないことだと実感しました。
「長期化する問題に我々のできることは、こうやって交流会などを催して一時的にでも気晴らしをしてもらうことぐらいしか実際はできないんだよ」と、菅野さん。その言葉の重みを噛み締めながらその場を後にしました。
次に向かった先は、飯館村の「までい館」。中に入ると、オープンスペースに色とりどりの花が天井から吊るされていて、華やかな印象でした。そこで、雪っ娘かぼちゃを生産・加工・販売されている渡邊とみ子さんと落ち合いお話をお聞きしました。
渡邊さんは震災前飯館村に居住され素敵な田舎ライフを堪能され、地域の女性の方々と手作りを楽しまれていたそうです。くわえて、「イータテベイクジャガイモ研究会」の会長として、菅野元一さんが品種登録したジャガイモとかぼちゃを栽培し販売し地域づくりをしようと活動していました。2010年には種芋生産が国から許可され採取が合格すれば世の中に出せる段階になっていた矢先、原発事故があり、避難を余儀なくされました。
「飯館村での生産はできなくなりましたが、これまでの思いと活動をそう簡単に諦めたくありませんでした」と渡邊さん。避難先の福島市で2011年5月には、畑を借りて、いいたて雪っ娘かぼちゃを育て始めました。そして10月には、飯館村でつながりのあったかーちゃん達を一人一人訪ね歩きました。
「仮設住宅で支援だけの生活だけでなく、自分達で動き出したい」と言った声を聞き、「かーちゃんの力・プロジェクト」を発足。避難先で「いいたて雪っ娘」の直売所を出すために、まずは、当時、国が設定した500bq/kgよりも遥かに低い20bq/kgの自主基準を設けて準備スタート。 2012年4月、12名のかーちゃん達と「あぶくま茶屋」にて健康弁当や漬物、お菓子などの製造販売を始めました。
大学生との連携もしながら、あぶくま地域の伝統料理の継承も行う目的で行った弁当作りやあぶくま茶屋運営は、飯館村の避難区域解除の2017年3月末で終了。結果として、「利益を出して、財産を残しての卒業」でした。
解除後は、2017年4月1日から、飯館村の畑で栽培を開 始しました。避難している間に荒れ果ててしまった畑。除染は終わっても肥沃な土はなくなってしまったことから、土づくりと鳥獣害対策から始めました。営業再開の届出のために、放射線物資の検査、堆肥指導を受け、スタディツアーで種まき、収穫体験をし、そして東電のボランティアの方に電気の柵を設置してもらい、やっとスタートラインに立てました。思いが実現できたことに「改めて故郷で作れたことに感無量の思いでした」と振り返る渡邊さん。
心配された放射線物資が基準を超えることはなく、飯館村の道の駅での販売ができ、イオンでの店頭販売もスタート。いいたて雪っ娘かぼちゃプロジェクト協議会のリーダーとして、普及活動も継続。全国にとみ子ファンも増え、多くの人たちの応援をこれまで受けてきました。
現在、雪っ娘かぼちゃの生産・加工・販売を通じての雪っ娘かぼちゃの普及活動に加え、あぶくま食の継承活動、語り部として福島の今を伝える活動をされている渡邊さん。活動に精力的に協力してくれていたご主人を亡くして、一人で全てを切り盛りしています。震災後から続いている福島市と飯館村での2地域居住。この生活を続けるためには、年金生活では難しいと思い、将来は、飯館の我が家でご主人と夢見た民泊をしたいと思っています。そして、我が家を拠点に、食と農の交流を通じて田舎と都会の交流を図ろうと活動するのがこれからの目標です。
困難を乗り越えてきた力を武器にこれからも光り輝き、さらに発展されることを祈っております。 ここで、渡邊さんが「辛かった時に、現場から学んだ事」を書き綴った詩を紹介いたします。
あきらめないことにしたの 沢山悔しい思いをしたよね
沢山、沢山泣いたよ
でも、生きてる
やっぱり止まっては駄目だよ
どんな小さな1歩でも前へ進んだらほらね。実ってくれたんだもの
植物は、こんな状況の中でも
頑張って生きているんだもの
だから私はあきらめないことにしたの
お話の後は、までい館で販売している雪っ娘かぼちゃ製品を紹介していただきました。プリン・ジェラート・ラスク・マドレーヌ・カレー・エジプトラー油・ドレッシング・スープ・冷凍カットかぼちゃ・ペースト等のたくさんの商品が販売されていて、どれも美味しそうでした。参加者の方はお土産として買い求め、食事処で提供していたかぼちゃのコロッケとハンバーグを皆で試食しました。かぼちゃのコロッケはかぼちゃの甘みがして美味しく、
かぼちゃの綿も入っているハンバーグはふわっとして旨みがぎっしり詰まり最高でした。「素材が いいから何 を作っても美 味しい」とのメーカーさんのご意見に納得しました。
最後に、また渡邊さんの畑で再会することを約束して別れました。道の駅を後にして、花卉農家の高橋日出夫さんのビニールハウスに向いました。
雪深い道をバスで約10分ほどで到着。夕方になり辺りは暗くなりだしていました。ビニールハウスの中に移動して、高橋さんからお話を伺いました。ビニール畑の中には、色とりどりのアウストロメリアが咲き乱れていました。
高橋さんも、渡邊さんと同じ、飯館村出身者で、村が計画避難区域に指定された後に、村から避難しました。飯館が好き、物を育てるのが好き。子どもの時、学校で行った菌の培養の実験をして、菌の匂いを嗅いで嬉しくなったというほど。
30代の時は、安全な物を消費者に提供しようと、福島や霊山の有機農業家達と有機野菜を栽培して福島市のスーパーして卸していました。次第に野菜が売り切れないことがあり、仲間達と野菜と切り花の栽培を分けることになり、高橋さんは水稲、ブロッコリー作りは継続しつつ、切り花に転向。有機栽培をしていて土壌が良かったせいか、トルコキキョウ、グラジオラス、りんどうなどの切り花栽培は成功し、次第に軌道に乗ってきました。そんな矢先に、震災が起こり、生産ができなくなり、
くやしい思いを味わいました。落ち込んだ高橋さんに、奥さんが「できちゃったことはしょうがない。どうすればいいのか考えればいいんじゃねえの」と声をかけ、その通りだと思い、一歩踏み出すことにしたそうです。
当時、除染して村を元に戻すと聞いたので、それを信じて、飯館でまた切り花作りをしようと思いながら数ヶ月後に避難しました。避難先は、福島市松川町。関根松塚地区の地域住民と共に近隣に避難。一軒家を借りて暮らし始めました。避難先でも農業をしたいという意向を伝えると地元の人が休墾田を貸してくれて、避難翌日から畑づくりをしました。避難1年目はアルバイトをしながら暮らし、翌年、復興交付金の援助を受けビニールハウスを貸与してもらいました。2013年、トルコギキョウやストックがよく栽培できて、宇都宮、新潟、仙台や福島の市場に出荷することができました。
その後、2017年に飯館村が帰村宣言することを知り村に相談。避難先での切り花栽培の実績を評価され、福島再生加速化交付金が適用になり、飯館村に栽培用ハウスを借受けできることになりました。ビニールハウスを整備してもらい、解除前の2017年1月には一時帰宅しながら苗づくりをして、3月末に苗を植える準備ができた段階で帰村することができました。
「また見慣れた朝日が出て、夕日が入って、星が出て、月が出て、この村で暮らせることが嬉しかった」と当時を思い出して語る高橋さん。高橋さんの帰村を待っていたのは、飯館の自然だけではなく、ずっと気にかけていたひばりでした。以前、作っていたブロッコリーの根元に毎年巣を作り卵を産み孵化していたひばり。除染のトラックが行き来しているので、いなくなってしまったかと思っていましたが、高橋さんの畑にいたそうです。「もしかして、違うひばりなのかもしれないですが、私たちを待っていたように思うのです」と。
震災後は、農業をやめて、スクールバスの運転手として働いた息子さんも一緒に村に帰り、バスの運転手の職を得て、親子で同居。高橋さんは奥さんと一緒に切り花作りを再開しました。現在もトルコギキョウ、アルストロメリア、スターチスを栽培しています。以前、コメ作りをしていた水田のため池は除染できず作付けできなくなったので、 20年間太陽光発電を設置するために貸すことにしました。おかげで僅かですが賃借料が入ってくることになりました。
これからの生活に関しては「ずっと花を育てたい」と。生 活のためではなく「花を育てるのが好きだから」と。飯館に生まれて、育ち、そして命を育む喜びを見出した高橋さん。飯館の自然の中で、毎日、自然と共に、家族と飯館ライフを楽しみながら暮らしていくことと思います。
今回の「までいライフ」を学ぶツアーはこれで終了。最後に、高橋さんに、白、赤、黄色の鮮やかな色のアルストロメリアをお土産にいただきました。花屋さんで購入するよりも美しく、輝いていました。この花は、花瓶の中で、今も咲き続けています。
お二人に伺った飯舘村の「までいライフ」。かぼちゃの 実も種も綿も全て無駄に使うことなく製品にする渡邊さん。小さな時から節約に徹することを教え込まれた高橋さん。物を大事にすることで、物に恵まれ、そして、結果、物に囚われずに、心豊かに暮らしているお二人。お二人から、物を大切に丁寧に暮らすことを学びました。そして、どのような状況の中でも前向きに生きていくこと、夢を見ながら、未来を見据えて、今を大切に生きることも教えていただきました。教えていただいたことをこれからの生活の中で生かしていきたいと思います。また会えることを楽しみにしています。
参加者の声
二本松での交流は心温まりました。浪江町民との交流でなかなか震災前に戻れない現実を突きつけられました。
震災から現在までの話を伺い、いろんな困難や悲しみを一つずつクリアして、今を楽しく生きていらっしゃる事に私もパワーをいただきました。
あっという間の10年でしたが、これからの私に何か出来る事はあるのか、このままでいいのかと考えさせられた今日のツアーでありました。
福島県外に居住・移住している者と帰還者在住者の交流を図るドンピシャなツアーでした。