安斎育郎先生の「放射線防護学コラム」 vol5
安斎 育郞
経歴
東京生まれ。 東京大学工学部原子力工学科卒業。 同大学大学院工学系研究科原子力工学専門課程博士課程修了工学博士。「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」。立命館大学経済学部教授。「核実験停止を求める国際科学者フォーラム」に招待される。京都しり造形芸術大学非常勤講師として平和学を担当。
現在
立命館大学定年退任、名誉教授。
福島の土はえらいなあ
畑の土と収穫物の放射能
2019年12月16日、私たち「福島プロジェクト・チーム」は、福島市渡利にある保育園の散歩ルートの放射線レベルを測定しました。保護者や保育者の間に、10月の台風で土が流されたりして散歩道の放射線環境に変化が起きたのではないかと心配する向きがあるからです。結果は、同じ場所を測った2019年1月24日よりもいくぶん放射線レベルが下がっており、台風による放射線環境への悪影響は見られませんでした。
いま、「福島プロジェクト・チーム」は、毎月の福島訪問を通じて、懸命に農業再興に奮闘する福島の農民たちをサポートしています。畑の放射能環境を見立て、そこで収穫された農作物の放射能汚染の有無を分析します。
とても興味深いことは、畑の土に多少の放射能が残っていても、その放射能がそこで栽培される農作物には移行して来ないことです。いま福島の土壌に残っている放射性物質は主としてセシウム137で、半減期は30年、放射能が10分の1に減るのには約100年かかります。なかなかの厄介者です。しかし、この放射性物質は福島の土にがっちりと吸着されて水に溶け出さず、作物には取り込まれません。いったい、なぜ?
「フレイド・エッジ・サイト」の役割
セシウム原子はプラスの電気を帯びているので、セシウムがくっつき易いのは、土の中のマイナスの電気を帯びている部分です。 土の中でマイナスの電気を帯びているのは、①土の中に含まれる「有機物」の分子構造の末端部分か、②土の中に含まれる「粘土鉱物」がマイナスの電気を帯びている場所です。粘土鉱物というのは、粘土を構成する粒子状の鉱物のことで、ケイ素やアルミニウムなどの原子が並んで層状の構造になっており、層と層の間にカリウム原子やマグネシウム原子や水分子が挟み込まれています。実は、挟み込まれている原子や分子の種類によって鉱物の種類が決まります。
福島の土に放射性セシウムがくっつく「くっつき方」には3つあると言われています。
第1は、土の中の有機物の分子構造の端っこにある「反応性の高い原子団」(=官能基)にくっつく「くっつき方」です。また、層構造を持たない土(例えばアロフェンとかイモゴライトなど)の場合には、それらの土が含んでいるマイナスの電荷にセシウムが引き付けられてくっつきます。しかし、これらの「くっつき方」はセシウムよりもカルシウムの方がくっつき易かったり、仮にセシウムがいったんくっついても離れ易かったりするため、福島の土がセシウムと強い親和性をもつことを説明できません。
第2は、スメクタイトのような「層構造をもつ土」の場合で、層と層の間にセシウムを引き付けるマイナスの電荷があって、プラスの電荷を帯びたセシウムを取り込む現象です。しかし、これまたセシウムよりもくっつき易いカリウムなどと競合関係にあるので、セシウムだけ選択的にくっつけるという訳にはいきません。
そこで大事なのが第3の「くっつき方」です。 それは、土に含まれる「雲母類の鉱石物質」や「バーミキュライト」や「イライト」と呼ばれる層状物質で、図に見るように時間とともに風化して末端部が開き、その開いた末端部にあるマイナスの電荷がセシウムを引き付け、しかも層の中に取り込んで離さなくなるという「くっつき方」です。セシウムのプラス電荷が接着剤の役目を果たすのですね。 このような開いた末端部は「フレイド・エッジ・サイト(FES, Frayed Edge Site)」と呼ばれますが、frayed(フレイド)というのは「ボロボロになった」とか「ほつれた」とか「すり切れた」という意味です。
放射性セシウム原子が土壌中で特別に吸着され易い現象を考える上で、この「層状物質末端のほつれた部分にあるマイナス電荷」こそが、セシウムを引き付ける最も重要な原因であると考えられていますが、特徴的なことは、開いた端っこにくっついたセシウム原子が層の奥の方に移動して、二度と出られなくなる現象が起こることです。しかも「くっつき易さ」は、アンモニウム・イオンやカリウム・イオンよりもセシウム・イオンの方が圧倒的に強いのです。
フレイド・エッジ・サイトは放射性セシウムの原子数は10億倍~1兆倍もあって、セシウム137にとっては十分すぎる程フレイド・エッジ・サイトがあることになります。これはとても幸いにして、有難いことです。
さあ、どうする?
福島の土が放射性セシウムを特別に吸着しやすく、そのため、土に放射能が残っていてもしっかりと土につかまってしまっているため、そこで栽培される作物には移行して来ない原理は分かってきました。
みなさんは「土には放射能があるが、作物にはありません」と言われた時、「それでもやっぱり気持ち悪い」と感じて忌避しますか?それとも、「ああ、それなら作物を食べることには問題はありませんね」と感じて受容しますか?大切な幼児期を二本松で過ごし、こよなく福島を愛している科学者である(と自認している)私は断然「後者」ですが、みなさんはどうかしら?