安斎育郎先生の「放射線防護学コラム」 vol6
安斎 育郞
経歴
東京生まれ。 東京大学工学部原子力工学科卒業。 同大学大学院工学系研究科原子力工学専門課程博士課程修了工学博士。「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」。立命館大学経済学部教授。「核実験停止を求める国際科学者フォーラム」に招待される。京都しり造形芸術大学非常勤講師として平和学を担当。
現在
立命館大学定年退任、名誉教授。
今さらながら「放射能」と「放射線」は違う
2019年12月の第68回福島調査
毎月一度のペースで実行している「福島プロジェクト調査」は、2019年12月16日=18日の調査・相談・学習活動で68回目を迎えました。今回の調査では、福島市渡利の「さくら保育園」の要請で、園の直ぐそばの殿上山散歩ルートの放射線環境を改めて測定しました。実は殿上山にはこれまでも何度も調査に入っているのですが、保護者や保育者の間に、昨年10月の台風19~21号の大雨によって放射線環境に何らかの不都合な変化が起こっていないか懸念があるというので、改めて調べることになったものです。
測定結果に対する「福島プロジェクト:の評価は以下の通りです。
「福島プロジェクト・チーム」が2019年1月24日に測定した時と比較して、平均線量率はむしろ少し低下しているように観察され、2019年10月の台風19号~21号の大雨による汚染土流出などに起因する環境放射線の影響は認められなかった。
現在の汚染のほぼ95%はセシウム137であり、その半減期は30年と長いので、前回の測定から11カ月の間には約2%程度しか減衰しない。残りの5%を占めるセシウム134は半減期が2年余と短いので、11カ月の間に約27%減衰する。したがって、全体として放射性セシウムに起因する放射線のレベルは11カ月の間に理論上は約4%程度減衰するはずだが、今回の観測によると、11か月前の平均値(0.25マイクロシーベルト/時)と今回の平均値(0.23マイクロシーベルト/時)の減衰率は約8%で、セシウム137の自然減衰率よりも大きい。もちろん、11か月前と今回とでは厳密に同一のポイントを測定している訳ではないので、0.25と0.23の信憑性にはやや問題があるが、少なくとも2019年10月の雨台風の影響で殿上山の放射線環境が有意に悪化したようなことはないと思われる。
不安があったら専門家の協力を得て調べてみる─この精神はとても大切です。読者の皆さんも何か不安があればそのままにせず、「福島プロジェクト」を含めて放射線の専門集団に相談して下さい。私のメール・アドレスはjsanzai@yahoo.co.jpです。
福島産のエゴマ油燈明
2020年1月17日は、6,434人の犠牲者を出した阪神淡路大震災から25年目でした。私が勤務する立命館大学国際平和ミュージアムの名誉館長室の机に「阪神淡路大震災25年」と書いた被災写真付きのカードを置き、福島県双葉郡浪江町で生産されたエゴマから絞った油を使った燈明に火を灯し、追悼の心を表しました。
前号でも紹介しましたように、「福島プロジェクト」は浪江町のエゴマ農家をサポートする活動に取り組んでいます。浪江の畑の土には少し放射能が残っていますが、そこで生産されるエゴマには放射能は検出されません。それが「バーミキュライト」と呼ばれる福島の土の成分の極めて高いセシウム吸着性能によるものであることを説明し、前号ではそれを私流に、「福島の土はえらいなあ」と表現しました。
エゴマには放射能が検出されない以上、浪江産のエゴマ産品に放射線防護学的な由々しい問題はないのですが、それは消費者の目から見た場合の話です。
畑の土に汚染が残っているとすれば、そこで農作業に従事する農民は被曝するのではないか─放射線防護学の専門家としてはそれが気になります。自分たちの生業(なりわい)のために、そして、地域の復興のために懸命に努力している農民たちが、安全に生産に従事できないとすれば、それは見過ごしてはならない問題です。
改めて説明しますが、「放射能」というのは「放射線を出す能力(性質)」のことです。「放射線」は「放射能をもった物質から放出されてくる“線”」のことですが、ここで“線”というのは「可視光線」「エックス線」「ガンマ線」「電子線」「ベータ線」「アルファ線」「中性子線」「陽子線」のようなものの総称で、微細なつぶつぶ(粒子)が空中や物質中を飛んでいるもののことです。「微細なつぶつぶ」には光子とか電子とか陽子とか中性子とかアルファ粒子とかベータ粒子とか、いろいろあります。つぶつぶの種類によって放射線の種類が決まります。
「放射能」と「放射線」の関係は、「懐中電灯」と「光」の関係と言ってもいいでしょう。「懐中電灯は光を出す能力を持っている」という関係なので、「懐中電灯=放射能」、「光=放射線」という関係です。
さて、エゴマ畑の土に放射能が残っているということは、畑という農作業環境の空間には土から放出される放射線が飛び交っているということです。当然、そこで身をかがめて草引きや収穫作業のような労働に長時間従事すれば、それ相応の放射線被曝にさらされます。
前々回に取り上げたように、被曝を防ぐための原則は、①除染、②遮蔽、③距離、④時間、の4つです。だから一番いいのは①の「畑の土を除染すること」(汚染している土を除去して、汚染していない土を入れること)ですが、広大な福島の田畑の土を除染することは事実上出来ないでしょうし、自治体は財政上の問題もあって実施する現実的条件を欠いています。②の「遮蔽」は畑と体の間に遮蔽物を置くことですが、現実的には「放射線防護服」(生殖腺や骨髄などの被曝を減らすために、能作業服の要所要所に膜状の金属のような素材を仕込んだもの)を工夫することになるでしょう。現在これはあまり検討されていないので、農作業の実態に応じて最も有効な「遮蔽効果付き能作業服」を開発する必要があります。③の「汚染から距離をとる」というのは農作業では無理でしょうね。放射能が残っている畑こそが仕事の現場なのですから、そこから逃げるわけにはいきません。④の「時間」は作業を効率的に進めて、無駄な被曝を避けるということですが、当然そのように心がけなければなりません。一人の作業者に被曝が集中することを防ぐ意味では、人海戦術で多くの作業者を投入して短時間で作業を終えるのは一案ですが、不慣れな作業者の投入によってグループ全体の被曝が増える恐れがあることも考慮しなければなりません。1人が10浴びるのと、10人が1ずつ浴びるのでは、合計はともに10で、その集団から発生する癌などのリスクは同等だと考えられています。不慣れな労働力を投入した結果、集団全体の被曝が15とか20に増えたのでは、放射線防護学的には問題です。
さあ、どうする?
福島の農業復興を考える場合、生産物の汚染の問題には目が行きますが、生産者の被曝の問題がおろそかにされてはなりません。私たち「福島プロジェクト」は、消費者の安全・安心に加えて、生産者の安全・安心の問題にも目配せしていきたいと考えています。