2021年10月16日第4回ふるさととつながろうツアーを実施しました。残念ながら前回のツアーが緊急事態宣言のためにキャンセルになってしまったので、皆さん今回の開催を心待ちにしていたようです。福島駅に11 時に集合。バスに乗り込み、2ヶ月ぶりに他の参加者と再会。今回のツアーでは、福島県東和町にある遊雲の里ファームを訪れ、オーナーの菅野さんの指導の下、稲刈り体験やビオトープを観察する予定でした。私たちは、止みそうもない雨空を時折仰ぎながら、バスの中で恒例の近況報告をして1時間のバスの移動時間を過ごしました。
自宅に戻ったように
「お帰りなさい」と玄関にある言葉通り、菅野さんが我が家に帰る家族を迎えるように菅野さんが明るい笑顔で迎えてくれました。お正月来れなかった菅野さんの民宿。とても懐かしくまるで実家に帰ったようでした。
まずは、菅野さんからのご挨拶。
。。。。。今日は遠くから二本松市東和地区においでいただきありがとうございました。あいにくの雨になってしまいましたので稲刈りとはせがけができませんのでビニー ルハウスで完熟トマトの収穫をお願いします。はせがけとは刈り取った稲束を棒と竹のはせに自然乾燥をさせる作業です。
「風味」という言葉があるように、これから初冬に向けて稲や干し大根や干し柿などを北風の寒風にさらして自然に乾燥させることによって水分が飛んで甘みがぎゅっと凝縮されるから美味しい棚田米、干し大根、干し柿になる、だから風の力で甘みが増すことを風味があるというんですね。
つぎは「案山子」という漢字です。案山子ってなんですか。鳥よけ・・^^でもこの字には鳥よけの意味はないですよね。「山の神を案内する子ども」という意味なんです。つまり、こんなにたくさんのお米がとれました。たくさんの野菜がとれました、山の神、田の神、水の神、自然の恵みのお蔭で豊かな作物がとれて、自然の恵みに感謝をするために秋祭りがあります。その自然恵み(山の神)に感謝をするために案山子をたてて案内し、 自然と人間が一緒に酒宴をあげるためなんですね。
もう一つ、「ご馳走」ごちそうさまでした。これは馬が日の出から日の入りまで走って他から集めてくるものがご馳走という意味です。馬が走ってくる也です。つまり二本松市に来たら二本松のものを食べるのがご馳走です。京都では京都の食べ物がご馳走ということです。地産地消とも言います。福島に来たら福島の美味しい食べ物を食べる、今日はたくさんご馳走を食べていってください。。。。。
野菜収穫
菅野さんの挨拶の後は、 昼ごはんを軽くいただき、 菅野さんのファームで、夏野菜の収穫をさせていただきました。ビニールハウスの中は外と対照的に蒸し暑く、そして真っ赤に実ったトマトや色鮮やかなパプリカ、大ぶりで肉厚なピーマンにピチピチのナス、新鮮なパセリがハウスいっぱいに育ち、まるでそこは夏のようでした。今年は暑さが長引いているため、まだ夏野菜が育つのだそうです。
早速トマトを収穫してその場で丸かじり。口の中いっぱいに 果汁が広がり溺れそうになりました。市販されているものとは甘味も酸味も鼻に抜ける風味もこんなに違うんだととても感動しました。どれも大ぶりで色艶もよく、大自然の中で育てているからこそなんだ、と思いました。
10ヶ月遅れのお餅つき
お昼を回ったあたりから雨が小降りになってきたので外でお餅つきをしました。例年行っていたお正月の餅つき。今年は、自粛のためにツアーが中止になってしまったので行えず、やっと念願の餅つきができました。
「重い!」「こんなの振り下ろせない!」こんな声が出るほど杵は重量があります。菅野さん曰くそれほど重い杵でつくからこそ粘りとコシのあるお餅になるのだそうです。
菅野さんの「えいや!」「はい!」と威勢のいい掛け声に合わせて一心不乱に杵を下ろしてついていきます。真っ直ぐお餅めがけて振り下ろすのは案外難しく、中々潰れません。力のある男性陣をメインに交代でみんなでついていきましたが、出来上がる頃にはみんなヘトヘト。出来上がった感動と同じぐらい疲れていました。
早速試食。つきたての餅は違う!粘りがとても強く、噛 み切るのにも一苦 労するほどの弾力。つくことで温かくなったお餅は、電子レンジで加熱したのとは全く違う温かさで、お米の甘味をより引き出しているように思いました。新米だからこそここまで美味しく仕上がるのだそうです。
つきたての餅に、納豆やきな粉、あんこを絡め、お雑煮もいただきました。丹精込めて作ってもらった料理はどれも美味しく、お腹も心も充分満たされました。
木村真三先生のお話を伺う
餅をいただいた後は、獨協医科大国際疫学研究室の准教授で放射線衛生学者の木村真三先生のお話を伺いました。木村先生の所属する研究室の分室が二本松にあり、ここ数年山菜の放射線測定を行っており、地元の復興に寄与させれているそうです。
原発推進から反対の立場に
木村先生は、1999年に東海村のJCO臨界事故が起こった際に現地入りし調査を行いました。それまでは原発推進派だったのですが原子力発電所の現状を見て、原発はダメじゃないかと思うようになりました。そして原発の研究を始め、チェルノブイリにも入りました。周囲からはやめておけ、10年以上経つのになぜ今更、と言われました。しかし、これから起こるであろう事故に備えることが大切なんだと言い、以来22年研究しています。
震災発生当初から開始した放射線測定
先生は、震災直後に、東海村の原発事故の現地入りした経験から、福島第一原子力発電所事故では福島入りをして初動調査をしたいと頼みましたが、余計なことをすると断られました。その時、企業や組織の中からは変えられないと痛感しました。しかし、黙っていてはいけないと思い、迷惑をかけないように厚労省に辞表を提出し、自ら、放射線測定を開始しました。
以来、各地でサンプルを採取し、検査を続けています。3年半で130サンプル測りました。時には、それまでは放射能が検出されなかった場所から検出されることがあります。未だに福島第一原発から飛んできてるのかと思い詳しく調査すると、そうではなく、事故当日一面に降り注 いだものが風で再浮遊していることや風の流れを逆算すると会津や山形、新潟から流れてきたものだとわかりました。つまりそこまで飛んできていたわけなので、原発付近だけの問題では無いと痛切に感じています。
現在、全国各地で子供向けに話をしています。子供だけでなく大人向けにも話をしていますが内容は同じです。大切なのは基礎を知ること。報道されていることが全てではないこと。危ない、怖い、で終わらせるのではなく、危ないならどうしたらいいのか、どうするべきなのかを提 案しています。
夏の終わりの花火
夜には雨が完全に上がったので、花火で遊ぶことにしました。最近は花火禁止の公園も増えているので中々する機会がなく、子供たちも大はしゃぎです。まず最初の一本をろうそくで点火します。少ししてから激しい勢いで明るく燃え上がる花火。周りに余計な灯りが一切ないのでより一層魅力的に輝いています。皆で無我夢中で遊びました。
そして最後にみんなで線香花火に着火。さっきまでの激しさはなくしっとり静かに燃える球。「最後の線香花火が落ちたら夏は終わるんだよ」と参加者の方が言っていました。線香花火も全てなくなり、また真っ暗になりました。これで少し切ないですが遅めの夏が終わったように思いました。
帰りのバスにて
菅野さんの民宿に1泊して、翌日、バスで福島駅まで戻りました。あっという間だった一泊二日のツアーの中で農業体験ができ、他の参加者や福島の地元住民、帰還者との交流もできました。帰りのバスでは楽しい時間を振り返りさまざまな感想をいただきました。「稲刈りが中止になったのは残念だったけれど、野菜ができるところを観察したり収穫できたのはいい体験だった」「福島の民宿に泊まることが初めてだったのでとても楽しかった。」「木村さんの話はとても衝撃的だった。とても一晩では足りないので今後も定期的に連絡を取って話を聞いていきたい」。。。
参加者にとり有意義な体験になり良かったと思いました。
ツアーを振り返って
あいにくの天気で予定が変わってしまったのは残念ではありますが、今回も充実した時間を過ごすことができました。有機野菜の美味しいもぎたての野菜を収穫したこと、杵で皆で力を合わせて餅つきをして、自然の恵みをいただいたこと、震災以来福島県の放射線物資と向かい合いながら活動されている木村さんの話が聞けたことなど全て貴重なことだと思いました。
木村先生のお話から、情報は自分で収集するしかないと思いました。ただし、集めた情報が全て真実とも限りません。大切なのは自分でキチンと調べて真偽を確かめることであり、真実だとわかった情報を元にしてさらに情報を積み重ねていくことで全体像を把握することなのだと思いました。そして、震災から、今も、放射線を測定し続け、データを集積しながら、ブレることなく自分の考えを発信し続けている研究者の方がいることがおられることに感謝の念を感じました。
最後になりますが、いつも楽しい企画や美味しい料理を提供してくださる菅野さん一家、送り迎えをしてくださる郡山中央交通の乗務員さん、そして貴重なお話をしてくださった木村先生、どうもありがとうございました!