今年度第1回目のつながろうツアーはいわき市を訪れ復興の様子を見学する内容で7月28日に実施しました。昨年度の参加者から避難元のいわきの様子を見たいという要望がありその要望に応える形で実現しました。
崩壊から復旧、復興へ 薄磯地区
まずは、美空ひばりさんのヒット曲「みだれ髪」の舞台となった塩屋埼がある福島県いわき市の薄磯地区を訪れ、塩屋埼灯台に登りました。灯台の北に薄磯海岸、南に豊間海岸があります。薄磯海岸ではまばらながら海水浴を楽しむ人たちの姿が、その先には福島第2原子力発電所が小さく見えました。真っ青な海に立つ真っ白な灯台。地平線まで続く海。穏やかな海からは、想定を2メートル以上超えた8,6mの津波が来たことなど想像できないほどでした。
いわき市の犠牲者の3分の1以上を占める薄磯地区は、海岸線とほぼ同じ高さに店舗や住宅が並んでいるような街でした。震災後は海岸線にかさ上げされた防波堤を造り、道路を挟み、その上に、高さ10mもの防災緑地が設置され、そこから海抜20m程度の高さまで住宅地が広がるように整備されました。道路からは防災緑地が住宅街を守るように立っている様、そして灯台の上から町の再生しつつある姿を見ることができました。
いわきから西日本へ避難者された方から、震災後に、薄磯豊間地区を訪れ、その被害状況と町の変わりように愕然としていたことをお聞きしました。今回のツアーで整備され復興が進んでいる町の様子を見られて良かったという感想をいただきました。
湯本温泉へ
次に、湯本温泉の老舗旅館「古滝屋旅館」を訪れ、
女将さんに震災後の状況に関してお聞きしました。
古滝屋旅館女将の奮闘記
私は今から25年前に老舗旅館の古滝屋に嫁にきました。子どもが小学生になるまでは、家にいて店に出ることはなく、お客様の出迎えをすることや花を活けることくらいしかしていませんでした。
2011年3月11日。東日本大震災が発生した時は旅館の10階にいて、すごく揺れました。前が見えないくらい天井が落ち、9階、10階の客室が被害にあい外壁も倒れましたが、全館満室で多くのお客様がおられました。館内の一部が損壊したり、その他のライフラインも停止しましたが、地下にある非常用バッテリーや貯水タンクで急場をしのぎました。
厨房では飲み物が割れて、その片づけに追われました。
地震の後片付けをしながらパニックに陥りました。片付けがやっと終わり家に帰ろうとしたけれどJRが止まって帰れなくなり他の手段を確保しました。帰宅するまで小学1年生と5年生の子供に電話しても、なかなか繋がらなく不安になりましたが、やっとつながった時は安心しました。
翌12日は、東京電力(東電)の福島第一原子力発電所で水素爆発が起きました。
放射能の恐怖からか街に誰も歩いていませんでした。避難すべきなのか状況があまりわからない中、
家族と社員の命の確保を最優先に考え、休業することに決め全社員に連絡。
旅館を目張りして、群馬県の伊香保温泉に避難しました。
避難していて、不謹慎だけれども、いつも飛び回り不在が多い主人と家族4人でいることが
できて、内心嬉しく思いました。
テレビでは原発が爆発して冷却するためにと消防車が水を撒くシーンを写していたことを覚えています。学校から自宅待機してくださいと学校の先生から連絡があり回避していましたが、1週間ほどで家族といわきに戻ってきました。
震災から1年4ヶ月何もできない状態が続きました。修繕する必要もあり再開するのは大変でした。
収入がないので、生活することにも困り、応急処置として夫の保険金と、貯金を削ってなんとかしのぎました。
元禄8年に創業。創業から324年目がたち、嫁に来てから300年。この歴史のある旅館を私たちの代で終わらせていいのか、先祖に申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。そんな折、国のグループ補助金申請に加わらないかという話がありました。費用の25%は自己負担する必要がありましたが、再開してお客様が来れば何とか支払えるかもしれないと思い、参加することにしました。再開に向けて始動開始です。
以前の従業員130名。従業員に再開することを伝え戻って来てくれるように話をしましたが、
すでに他に就職していて戻って来てくれる人はいませんでした。これまでの形態をやめ、新たに
従業員10名で素泊まりで旅館の営業を再開しました。外回りの営業も自分たちで行いました。
震災後は宿泊費用の半額を国が負担してくれたおかげで温泉街に宿泊客が少しは戻ってきましたが、風評被害で以前のように客足は遠のいています。いわきは放射線量が低いので、私たちは安心して
戻って来たけれど、お客様はわざわざいわきを選ばないないのかもしれないと考えました。
以前は28軒あった旅館は減って来てしまい現在は20軒のみ。以前は湯本温泉まで足を伸ばして
くれた宿泊客がいわき駅を通り越して来てはくれないようになりました。広野に大きなホテルが
立ち出して、いわきにも来なくなってしまうのではないかという心配の声もちらほらあります。
そんな閉塞感が漂う中で「なんとかしなけりゃ。」「町おこしをしよう」と旅館の女将たちが
集まって、いわきのアピールポイントを時間をかけて話し合いました。 湯本には温泉とフラガール
(ハワイアンズ)がある。常磐炭鉱が閉山になった後に一大リゾート施設をオープンし、一山一家の精神を持って地元も一丸となりお客様を迎えている。そんなハワイアンズを湯本温泉全体で応援しています。そこで、フラダンスを習っていた女将たちが「フラ女将」として集まり、着物でフラを踊る女将としてチームを結成して、広報を始めたのです。
他の温泉地と違って女将通し仲がよく、仕事の悩みを共有したり団結心もあります。フラ女将が
5月から8月まで月に1回温泉町の足湯で一緒に踊ります。これを目当てに来るお客様は少ないけれど、ゆるく続けていければいいと思っています。
古滝屋には、昨年10月に、料理人が1人戻って来て、素泊まりだけはなく、宿泊客に食事を2食提供
できるようになりました。従業員も10人戻って来ました。通常の営業に少しずつ戻りつつあり、長年の顧客の間で安堵感も広がっています。
夫は、主に営業活動と自らの活動に勤しんでいます。震災以前は「フラオンパク」を通じて
町おこし活動に従事し、震災直後はその仲間たちと炊き出しを行なったり、支援物資の拠点作りをしてきました。現在は、原発事故後の暮らしを伝える「スタディツアー」も行っています。
喜生さん(夫)のように考え動けないこともあるけれど、「自分の使命は歴史をつなげること。
325周年を迎え、息子たちが大きくなったら嫁につなげていくので、それまで日々を頑張るしか
ないと思っています」
湧出量を誇る摂氏59度の天然硫黄泉「湯本温泉」
女将のお話の後は、お風呂に直行。無色透明の源泉かけ流しのお湯にゆっくり浸かりました。
お肌はつやつや、ココロもカラダも癒されて、古滝屋さんを後にしました。奥さんのがんばる姿に、
参加者の多くが感動して応援したい気持ちでいっぱいになりました。次回は温泉客として
訪れたいと思います。
〜 参加された方の感想 〜
女将さんに震災後の状況を直接聞けてとても有意義でした。報道などを通じて伝えられている
こととは反して状況は深刻なことがわかり、心から応援したいと思いました。
昔住んでいた町が見られて涙が出ました。
もしこのツアーがなければ来れなかったことでしょう。懐かしさでいっぱいになり、再び
ふるさととつながれたことを嬉しく思います。
温泉が気持ちよかった。ツアーに参加している避難者と交流できたことも楽しかった。
福島の良さを実感できるツアーに次回も参加したい。