会津藩校「日新館」訪問
NHKの大河ドラマ八重の桜で脚光を浴びた会津の歴史と会津魂。2020年11月12日の「ふるさととつながろうツアー」では歴史と心をテーマにツアーを企画しました。まず、私たちは当時藩校の中でも1、2を争う学力を誇っていた会津藩校「日新館」を訪れ藩校の教育について学びました。
「日新館」は、江戸時代に起きた「天明の飢饉」による財政悪化の解決のために地域産業の振興と人材の育成が必要と考えられ、1803年に鶴ヶ城の西側に創設されました。教育の基礎を儒学におき、理科系、文化系、医学、体育、教育、防衛大学を合わせたような総合学園で、藩主師弟が10歳から入校し1000名~1300名ほど通っていました。人としての道を学び、文武両道を身につけた子供達。入校前から什の掟により自分を律することを学び入校後も会津藩主として誇りを身につけていったそうです。
施設見学の後に、日新館の職員の方に日新館と日新館が生み出した山川健次郎先生について詳しく講話の中で伺いました。(以下講話の要約)
日新館の教育の特質について
全人教育と集団教育により文道を極め、卒業試験があるので大学まで上がれるのは数人。礼法は必修で人への気遣いや思いやりを持つことを教えた。神道学、雅楽、天自分と向き合いまいた。文学、医学も学ぶ。天文台までもあった。他に天文台があった学校は水戸だけ。日本初のプール(水練場)があった。大きさは50メートル×180センチで甲冑を着て刀を濡らさないように持ちながら泳ぐ立ち泳ぎで2キロ泳げたら合格だった。水練は体を鍛えることだけが目的でなく、目標に向かい頑張り通すということを教訓として教えるためでもあったと。学校給食を他に先駆けて始めた。飢饉の後財政は厳しかったが子供達を飢えさせるわけにはいけないと毎日500~600食ほど用意していた。毎日同じもの(玄米、味噌汁、野菜)をいただき1ヶ月に2度塩引きが楽しみだったそうだ。また、大人のタンパク源のために鯉の養殖を始めた。
敗戦後の会津藩に関して
焼け野原で、会津は追い出された。明治4年に外堀もなくなり、明治7年には天守閣は取り壊された。皆追い出されて下北へもしくは北海道余市の開拓に流された。その中で歯を食いしばって頑張った。会津人は廃藩置県後に戻って来たが会津には住めないので東京などに分散して行った。会津に残った人たちは、会津のため、と子ども達の教育 に力を入れた。
全国で活躍した会津人
東京大学・京都大学・九州大学・九州工大の総長であった山川健次郎氏、同志社総長の山本覚馬氏、池上四郎第6代大阪市長は大阪の町の近代化に貢献した。長崎の初代県知事であった日下義雄氏など、多くがそれぞれの場所で功績を残した。
日新館の入り口には、その中の一人、山川健次郎先生の銅像が建っている。健次郎先生は15歳の時に戊辰戦争を経験。16歳以下ということで白虎隊を除籍、その後、国費で会津から1人だけ選ばれてアメリカで留学しその中で唯一学位(エール大学で物理専攻)を取得し帰国。48歳で東大の総長に、そして九州の帝大と京大の総長も務めた。「どんな逆境であっても夢は持ち続けることが大切。夢を作るのは自分。自分で作ったものであるから続ければ必ず叶う」という教えを説き実践された。
会津のために力を尽くす
健次郎先生は、忙しくしていても、時間を割いて会津に来て子ども達のために会津で講演してくれていた。大正15年「これはやらなきゃいけない」と、飯盛山のことを後世に伝えるために1,000円(現在の1000万円相当)を拠出。東武鉄道の初代社長の根津嘉一郎氏や地元の有力者の協力を得て飯盛山の白虎隊の墓を整備した。日下義雄氏は長崎知事の後に福島県知事になり会津に磐越西線を引っ張ってくれた。会津で学んだ人たちは外に行ってもそこで終わってない。
人間は生まれながら恩をもらって生きている。三大恩一親に対する恩、師に対する恩、社会に対する恩一を忘れずに生きていた先人達。会津がめちゃくちゃになった後に恩返しを皆忘れないでしてくれてた。
最後に~未来の子ども達へ〜
会津では幼少教育と家庭教育を大切にしていた。健次郎先生の母親が子供と使用人の子どもを集めて本を読み聞かせてあげていた。経験豊かな人が下の人たちに伝えて教えていくことができるのは人間だけ。教えることで次へつないでいくことができる。学校でも、家庭でも手伝いをしながらなんでも教えてもらう。感謝しながら学ぶ。それが大切なこと。
最後に、職員の方から子ども達へメッセージをいただきました。「一生懸命頑張ってください。夢は叶います。人のためになるような夢や志を持って進んでください!」と。
館内で弓道を体験し、日新館を後にしました。
正雲寺にて、
その後、バスで東山温泉方面に進み、会津の郷土料理をいただいた後に、山奥のお寺「正雲寺」に行きました。人里離れたとても静かな山寺で副住職が笑顔で私たちを迎えてくれました。坐禅の体験のない参加者がほとんどで50分の座禅ができるか心配でした。
副住職曰く、
「坐禅をしたからと言って何が変わるわけでもない。ではなぜするかということ今を生きるため。過去は悔やんでも変えれられない。未来は思い煩っても思い通りにならないこともある。なので、今を生きる。そのために坐禅をするのです」と。
私たちは、副住職の導きで、姿勢を整え、呼吸を整え、心を整え、壁に向かい50分。自分と向き合いました。
木版を叩く音で始まり木版を叩く音で終わりました。体験後の感想はまちまちでした。長く感じられた人。短く感じられた人。うとうとした人。足がしびれた人。自分だけしんどいのかなと思っていた人。皆がやり遂げ、ほっとしました。
次に写経体験に挑戦しました。写経の心得は、子どもの塗り絵のように文字を正確になぞること。煩悩や雑念を入れずに、他のことを考えずに「書いている今瞬間を生きること」と教えていただきました。
取り組み方は人それぞ れ。早さも出来上がりも やっぱり違っていました が、自分のペースで取り組み、やり終えたことが満足 感につながりました。 予定の坐禅と写経を終え、お茶をいただきながら、心 を緩めて、くつろいだ時間を過ごしました。そして本 堂内を見学して、手を合わせ、今回のツアーを締めく くりました。
今回のツアーでは、日新館で歴史や先人達について学び、そして正雲寺で坐禅や写経体験を通じて自分と向き合う時間を過ごしました。会津には200年以上も前に確立した教育の源流が今も人から人へ受け継がれていているように思えました。自分を育ててくれた人や社会に対し感謝することと、息を社会に恩返しをすること。そして、過去や未来に囚われず、夢を持ちながら、今を生きることが大切であることを教えていただきました。今を生きることに集中するために坐禅や写経を生活に取り入れることも有効だとも思いました。
「日新館で話が聞けて、震災後初めて福島県人としての自信を取り戻しました」とある参加者の方から感想をいただきました。先人たちの功績を知り、夢を持ち実現に向けて今こそ一生懸命生きようと思います。どこにいようとふるさとの先人たちとつながってる私たち。先人たちの愛したふるさとを誇り高く生きていきましょう!!