2021年3月21日、私たちは、ふるさととつながろうツアーで初めて双葉地方を訪れました。震災10年目の節目の年であることから福島第一原子力発電所の事故を振り返り、現在の状況を把握するためのツアーでした。今回のツアーは、震災後に関東から富岡町に移住され新たなまちづくりに取り組む鈴木さん夫妻、毎年ツアーでお世話になっている東和町の有機農家民宿「遊雲の里」オーナーの菅野さんに案内していただきました。
広野町二ツ沼直売所「のらっこ」へ
いわき駅を出発して、まず訪れたのは広野町の二ツ沼総合公園内に設置された直売所「のらっこ」。農薬を控え、自然に育られた地元の農作物を販売する場であるだけでなく、生きがい農業の場でありコミュニティー作りをすることも目的とされている「のらっこ」。店内には、地元の採れたての農産物が安価で販売されていました。北限のミカンの里として広野町のミカンで作ったストレートミカンジュースも酸味がきいていてさっぱりした味でした。代表の新妻さんが育てた合鴨農法米も販売されていました。
復興拠点Jビレッジへ
次に向かったのが、Jビレッジです。日本のサッカーのメッカとして親しまれていたサッカーの拠点が、震災直後は、原発作業に携わる方々の拠点となり災害復旧に寄与した場所ですが、現在は、以前のようにサッカーの拠点として機能していて、訪れた日もサッカーの試合の最中でした。東京オリッピックでは聖火リレーのスタート地点。聖火が運ばれるドームの近くを遠くから見ながら、10年前、作業員の方々の車で溢れていた駐車場がきれいな芝のサッカー場に戻ったことを嬉しく思いました。
富岡町訪問
その後は、ガイドの鈴木さんの住む富岡町へ。富岡駅は津波で流された駅が完全に復旧していました。近くにはコンパクトシティが作られていて町が整っているように見えました。コンパクトシティは、集合住宅、住宅エリア、行政施設、商業施設、農地、福祉・医療施設、再生可能エネルギーなどの様々な機能が集約し、相互に連携、補完し、復興と帰還を促進する目的で形成されました。現在、富岡町だけでなく、広野、楢葉、川内村、大熊、浪江等の町内の復興拠点を中心に作られています。富岡町のコンパクト シティでは、住民が農業をしたり、皆が集まってマルシェをしたりと盛り上がっているようにお聞きしました。住民の方々がそれぞれのライフスタイルを保ちながら地区の独自性を生かし住民主導の町づくりが進めばいいと思いました。普段は、天気に恵まれるみんなの手のツアーですが、今回初めて天気に恵まれず、強風と雨の中、富岡漁港や個人経営のワイナリーを訪れました。富岡漁港にはよく釣れるという釣り船が停まっていました。太平洋を一望できる絶好のロケーションのワイナリー。天気の良い日にまた訪れたいと思いました。
夜の森の桜並木
次に桜で有名な夜の森方面に向かいました。震災直後から強制避難区域になり、現在も一部をのぞいて帰還困難区域になっている夜の森の桜並木。道路が解除された地域もあり一部桜が見れるところがありました。つぼみの中に咲いている花が少しだけ見れましたが満開になるまで後少しかかりそうです。バリケードの先の桜並木を見れないことがとても残念に思えました。何年もこの桜の花が見れない住民の方の思いを考えると本当にやりきれない思いでいっぱいでした。鈴木さんから、2年前「特定復興再生 拠点区域」の避難指示解除になったものの居住地が含まれてなかったため、帰還を楽しみにされていた複数の家族が帰還を諦めたとお聞きしました。多くの方々がまだ自宅に帰れないという現実を私たちは真摯に受け止めなければならないと思いました。
ふたばいんふぉ
昼近くになり、富岡町内、学びの森を経由して、鈴木さんの活動拠点である「ふたばいんふぉ」を訪れました。「ふたばいんふぉ」は双葉郡の総合インフォメーションセンターとして、双葉8町村の現状を共有し広く伝えるために、民間団体である双葉郡未来会議が運営者となって開設されました。単なるアーカイブ施設というだけではなく、住民目線での捉え方、伝え方を自らが発信することで、よりダイレクトに双葉郡のリアリティを届けています 。情報発信基地は、地元だけでなく県外からも多くの方々が訪れ、皆が集う場にもなっているそうです。私たちはランチをいただきながら鈴木亮さん、香織さんご夫妻と参加者の交流の場を持ちました。
富岡移住への思い
関東出身のお二人。震災前から福島の有機農家さんとご縁がある亮さんと震災後に環境ボランティアとして福島に訪れた香織さんは環境NGOでの活動を通じて出会いました。互いに仕事の関係で住まいは富岡と東京と離れていましたが、遠距離交際を経て5年後 に結婚、その3年後に出産。それを機に富岡への移住を決意しました。移住の決め手は1週間の「お試し移住」だそうです。その1週間の間に富岡の町づくりに携わっている移住者に出会い富岡の未来への思いを聞いたり、地元の人たちの懐の深さを感じ、富岡の魅力に取り憑かれ移住を決意したそうです。最初は不安はあったものの、移住して子育てをしている同世代とつながりながら富岡町の再生を一緒に考えられることや教育に関しても少人数制で子育て環境も整っていることも魅力と感じるようになったそうです。2歳になったばかりの娘さんの郷ちゃんと3人で富岡に根付き、住民として暮らしている姿に私たちは心を動かされました。鈴木さん夫妻のように県外から福島県に移住される方もあれば、避難先に移住されている方、避難中の方、春から福島に帰還される方など、自らが生きる場所を選択し、他者の選択を尊重しながらこの場所で集えることができたことは嬉しい限りです。
東日本大震災・原発事故伝承館
午後からは、2020年9月にオープンした「東日本大震災・原発事故伝承館」を訪れました。海に面した広々とした敷地に建てられた真っ白な建物。室内に入りまずは5分間のフィルムを見ました。福島県で最初に原発がスタートした昭和41年から45年目、地震が起き、その後発生した津波により電源喪失になり起きた原発事故。その原発事故を未来や世界に伝えることや防災・減災につなげることそして福島県の復興を加速することを目的に建てられた伝承館。そのショートフィルムに涙ぐみながら、伝承館ツアーが始まりました。
展示内容は、原発事故の発生、その後の対応、長期化する原発事故による影響、復興にむけた取り組みなどの展示、語り部の方のお話を伺うブースなど、震災の知識がない人でも理解できるような内容でした。福島第一発電所の模型もあり、どのようにして事故が起こったのかわかりやすく説明してあり、質問すればスタッフの方が答えてくださるので大変役に立ちました。
訪問前に伝承館の批判を聞いていました。しかし、実際訪れてみると、スタッフの方も地元の方で、熱心に事故のことやご自分の思いも伝えてくれました。批判を受けて、新たに「安全神話の崩壊」に関しての説明を追加したり、内容もアップデートしながら改善していっているとお聞きしました。語り部のお話を聞いた参加者の方から、当事者の思いを直接知ることができたことがいい体験になったとお聞きしました。参加者の多くが伝承館を見学されて満足したことがわかりました。もっと重い内容になると消化できないのでこれくらいの内容がちょうどいいという意見もありました。展示や映像などが豊富にあり2時間の見学の時間でも足りないくらいだったそうなので、今度ゆっくりまた訪れたいとの声もありました。
浪江町請戸地区へ
伝承館を後にして、浪江町の請戸地区を訪問しました。この地区は津波の被害に遭い、小学校と集会所などの一部の建物以外は全て流されました。海岸から200mにある請戸小学校にも津波が押し寄せ1階の天井まで達しましたが、生徒たちは、先生と一緒に2キロ先の高台の大平山を目指して逃げて全員が助かったそうです。私たちは高台から小学校を見下ろしながら、震災当日のことを考えました。長い距離を小学生たちがどれほど不安な気持ちで歩いたのかを想像すると胸が締め付けれるほどでした。大平山霊園に立ち寄り、津波の被害にあった方々のために建立された慰霊碑に祈りを捧げました。津波の被害に遭われ命を落とされた方々や、原発事故により警戒区域になり、救助ができないために命を落とした方々がおられることを私たちは福島県人として忘れてはならないと思いました。
グランドオープニング@道の駅なみえ
最後に、私たちは新しいショップのグランドオープングを祝う『道の駅なみえ』を訪れました。そこには案内役の菅野さんの娘さんの瑞穂さんが働いていました。二本松市東和町出身の瑞穂さん。有機農家のお父様の元で農業を学び、「きぼうのたねカンパニー」を設立して、未来に続く農業を営みワークショップを通じ て自然と人をつなぐ活動されてきた瑞穂さん。活動を振り返るために宮城県南三陸に拠点を移して1年。「道の駅なみえ」のポジションを知り浪江町に移住。移住のきっかけは、震災後、浪江町から二本松市に避難されてきた方々に自分が何かできないかと思っていたことにあるそうです。浪江の営農再開を応援しながら、検査の必要のない安心安全な農作物を育てることができるようになる時まで見届け、未来に伝えることが使命と感じているそうです。現在は、「道の駅なみえ」で働きながら農業を営んでいます。つながろうツアーで東和町のお父様の農家民宿を訪れてお会いしたのが3年前。東和町にいた時よりも逞しくなり、自分の夢に向かって励んでいる姿は輝いて見えました。
ツアーの振り返り
ここで、案内してくださった鈴木さんと菅野さんとお別れしました。いわきに向かう帰りのバスの中では、長い1日を振り返り感想を述べ合いました。伝承館の訪問は薄れかけていた震災の記憶を鮮明にしてくれました。現地ツアーでは、福島県内に帰還困難区域があり、まだ多くの方々が自宅に帰れないという現実を直視し、今後の課題について考えることができました。さらには、新たな町づくりに取り組む方々とお会いして思いやビジョンを伺い、長いスパンで町の再生を考えることができました。今後、町に活気が戻り、住民の方々が望む町づくりが進むように願っています。そして、私たちは、これからもつながりながら、ふるさとと共に歩んでいきたいと思っています。
けやきの樹にしあわせの
虹かけよう若い血汐を燃やして
嵐をこえて雪崩に耐えて
豊かなふるさと福島をつくろう
ちから満ちるあしおと高らかに
ああ 福島県きびたき歌う尾根を背に
手をつなごう若いあこがれむすんで
町から村へ ひとつにみのる
楽しいふるさと福島をつくろう
こころあわせつち音絶やさずに
ああ 福島県福島県民の歌(抜粋)