「日本の田んぼを守る酒蔵」を目指して
ランチの後に向かったのは、田村にある「仁井田本家」さんでした。今回は繁忙期であることとコロナ渦であることから蔵の中には入ることはできませんでしたが、売店に立ち寄り、スタッフの方から酒造りのこだわりについて伺いました。
仁井田本家は1711年に創業以来、田村の湧き水で酒造りを続けています。「山を守り、水を守り、田んぼを守ること」そして「日本の田んぼを守る酒蔵になること」を使命として、こだわりの酒造りをされています。
米は、無農薬・無化学肥料の自然米を栽培しています。2010年には蔵の夢である自然米100%&純米100%を達成。環境への配慮は、原始的な中野式除草機と手取りの草取り、かぶとえびにより害虫駆除する取り組みからもわかります。
仕込み水は田んぼの近くの「竹内の井戸水」(硬水)と山から湧き出る「水抜きの湧き水」(軟水)の自然水をブレンドして使用。酵母を使わず、蔵の中に自然にいる酵母菌を作って醸す酒もあるそうです。
自然水、自然米、蔵付き酵母に加えて、木桶制作も数年前から行なっているそうです。「自給自足の蔵」を目指してホーローのタンクから自社の杉の木製の木桶に移行しようと進めているそうです。「一番は、おいしさなので、とにかくおいしい酒を全て自給自足で作れ るようにがんばっていきたい」と語るスタッフさん。
震災後から、多くの人に蔵に来てほしいと始まった「スイーツデー」や地域の人々と一緒に田んぼ作りをする「田んぼの学校」など地域に根ざして取り組みを通じて、蔵と人とがどんどんつながり続けています。説明の後、私たちは自然酒を試飲し、蔵の周りと昔の食卓を思い出させるギャラリー見学しました。製作中の木桶も見ることができました。
仁井田さんのふるさとの山や川、田んぼに対する熱意に心を打たれ、蔵全体が一丸となり地域を巻き込み取り組んでいる姿は大変刺激になりました。進化している酒蔵を見ながら、2017年に訪れた際に聞いた代表の言葉がよぎりました。「震災後、風評被害により福島の酒蔵ということでマイナスからのスタートでした。これからもマイナスをゼロにしてそしてプラスにするために、お客様に喜ばれるもの作りをコツコツとしながら努力し続けていきたい」と。この数年でさらなる進化を遂げた仁井田本家さん。地域でそして日本で愛される蔵を目指してこれからも進化しづつけてほしいと思いました。
手間をかけながら作り続ける張り子
仁井田本家さんを後にして訪れたのが、三春の高柴デコ屋敷でした。2018年の春に訪れて以来2度目の訪問です。今回は、年末ということもあり、大黒屋さんに立ち寄り干支張り子作りに挑戦しました。
張り子は全て職人さんの手作り。大黒屋さんでは数百種類の物を作っているそうです。主な物は、12干支の張り子・三春人形(古風な人形で女性が踊っているような人形・大黒様)・お面(縁起物の飾るお面)・だるま(睨みをきかせて厄を寄せ付けないように怖い顔で目が入っている)だそうです。最近はメガネのフレームやアクセサリーなども張り子で作っているそうです。海外でも人気が出始めたので海外にも足を運んで張り子を紹介しているそうです。
張り子の素材は和紙。木彫りで掘った型に和紙を大きさに合わせて貼り重ね、水に濡らし柔軟性を持たせてシワを伸ばして乾かし、型を外して切り目をふさいで下地を塗り完成させるそうです。張り子の中には「豆で達者に」という言い伝えから縁起担ぎのための豆を入れているそうです。完成まで1~2週間。「手間と時間はかかるますが、心を込めて手作りで作り続けているそう」とのことでした。
まずは、大きなところから塗り小さなところは塗り重ねるとのアドバイスに従い、手作りの張り子に絵の具を塗り始めました。「牛にならなくてもいいから」という言葉に気負わずに取り組みました。見本に習って作る人。オリジナルデザインで作る人。来年の抱負を言葉で付け加える人。それぞれがそれぞれのペースで牛の張り子を作り上げました。完成してから、全員の張り子を並べて写真撮影。来年も良い年になりますようにと願いを込めて。きっと良い年になりそうです。
手揚げと国産大豆にこだわる縁起食品三角油揚げ
三春から須賀川に向かう途中に訪れたのは三角油揚の大畑屋食品さん。江戸時代には豆腐屋さんは107軒あったそうですが今は3軒しかなくなったそうです。三角形は、舞鶴城という城が三春の町にあり舞鶴の鶴が羽を伸ばしているのが縁起が良いということで三角形の物を食べるようになったのだそうです。今残っているのが、三春の油揚げとかんのやさんのゆべし。福島県人にとってはおなじみの食品。私たちはふるさとの食の歴史を知り豊かな気持ちになりました。
この三角揚げ。お聞きすると、大畑屋食品さんのこだわりがありました。油揚げは昔から遠いところに旅をさせないで地域で流通する物と言われているので、地元で「手揚げで頑張ろうとやっている」そうです。そして、大豆もアメリカ産やカナダ産の広く流通していますが、国産にこだわり国産大豆を使っているそうです。震災前は浜通りや会津の大豆を使っていましたが、震災後にやめてしまった農家さんもいたので、現在は宮城県の大豆を使って作っているそうです。
大豆以外は作り方も揚げ方も変わらず作り、毎日3000枚、お盆などの繁忙期は5000枚の油揚げを出荷。豆腐、ゆば、豆乳アイスクリームや焼き菓子なども生産して販売しています。揚げたての油揚げ。ネギなどの薬味と一緒にいただくととても美味しく安価な栄養食品としてオススメです。大畑屋食品さんのこだわりを聞き、ますますおいしく感じられました。
最先端の技術を用いて、天候に左右されない質の高いイチゴ作りに取り組む
こだわりの生産者に会いに郡山から、田村、三春そして須賀川まで足を伸ばしました。須賀川のおざわ農園さんには夕方に到着。繁忙期で忙しいおざわさんはその時間まで箱詰めの作業に追われていました。そのような中で時間を取ってくださり温室を案内してくださいました。
「今ここにある設備は、日本でもイチゴ業界の中で初めて入った設備まで入っています。栃木や九州などのイチゴ栽培地に肩を並べるくらいの品質の物を作りたいと思っています」とおざわさん。栽培方法は平地栽培と高設栽培があり、四季成りのイチゴ栽培より、初冬から初夏にかけて(11月から6月)に作る一期成りの品種が多いそうです。おざわさんのイチゴは平地栽培で一期成り。夏には輸入品や高冷地で作って補っていることもあり、日本のイチゴの需要はあり、まだまだ足りない状況だそうです。
高設栽培のイチゴは小さくてたくさん取れるけれど、平地栽培で、地面から取れるイチゴの方がおいしいので、よりよいおいしいイチゴを安定して作るために、今年は人口太陽―高出力のLED―を取り入れたそうです。極端に開発してもらったLEDはピンク色の光。その光 を点灯していただきました。全てがピンクの色が見えましたが、5分くらいいると慣れてきて 、目が補正されてきてピンクの色が白く見えました。この光は人間の目からはおかしく見えますが、イチゴの葉には大好物の光だそうで、二酸化酸素と一緒に葉の中で糖化合物を作ってくれる最適な光の波長だそうです。
人口太陽により天候に左右されることがなくイチゴを栽培することができるようになったのだそうです。この設備を使い、おいしいイチゴが作れて、食糧危機になったときにも食糧を供給できるシステムが作れのではないか。そして、現在メーカーと共同研究をしてモニタリングをしているので結果を出したいと思っておられるとか。
「福島は風評被害があった場所なので、不純な天候にも対応するなどそれほどの技術をもった農業じゃないと世界に通用できないのではないかと思い、意地でも頑張ろうと思ってやっているんですよ」。おざわさんの自信に満ちた態度に福島県の農業の未来は明るいのではないかと思い安心しました。帰りのバスの中でいただいた「とちおとめ」。とても甘くて程よく酸っぱくて、「イチゴってこんなに甘くて美味しかったのか」と驚きました。もしかして、世界一番甘いイチゴなのではないかと思ったほどでした。
ふるさとのこだわりの作り手
震災後、福島県産の一部の野菜や果物に出荷制限がかかったり、風評被害で値段が暴落してしまったり、県内の生産者さんは大変な時期を経験されたと思います。その後に日本全国で福島を応援するために福島産の物を購入してくださる方が増えなんとか凌げた生産者の方もおられると思います。そんな状況の中で、自らのこだわりを貫き、ものづくりにこだわった生産者さんが県内におられることを私たちは誇りに思いました。その結果、素晴らしいものが生み出され、質の高い物を買い求められるようになりました。
福島だからこそ完成した素晴らしい品々。作り手さんが守り続けた信念とたゆまない努力。こだわって貫いた福島プライド。私たちはそんな福島プライドを自ら取り入れて生きていこうと思います。繁忙期にもかかわらず私たちを快く受け入れてくださった県内の訪問先の皆さま、ご協力ありがとうございました。
★前半は2月号のニュースレターに掲載しています。