安斎育郎先生の「放射線防護学コラム」 最終回
安斎 育郞
経歴
東京生まれ。 東京大学工学部原子力工学科卒業。 同大学大学院工学系研究科原子力工学専門課程博士課程修了工学博士。「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」。立命館大学経済学部教授。「核実験停止を求める国際科学者フォーラム」に招待される。京都しり造形芸術大学非常勤講師として平和学を担当。
現在
立命館大学定年退任、名誉教授。
わからないことは調べましょう
雪の中郡山市内の放射線を測りました
2020年3月28~30日、安斎科学・平和事務所が主宰する「福島プロジェクト」が第70回目の調査を郡山市内で行いました。その後新型コロナウイルス感染症の蔓延のために中止することが決まりましたが、以来時には、やがて全国からたくさんの保育関係者が参加して大規模な集会を開くので、子ども連れの人などもいることだから、放射線環境が安全だということをちゃんと測定しておこうということでした。
気温が0℃ちょいだった郡山には雪が舞い、3月29日で桜がちょうど開花しようとしているその時期だというのに、あいにくの天気でした。下の写真は開成山大神宮の横を通りながら環境放射線を測定する様子です。
郡山市は2011年に事故を起こした福島大い原発からは約60㎞離れていますから、極端に高いところはないにしても、当時の「放射能雲」(プルーム)の通り道によっては、「ホットスポット」(放射性物質が特に溜まった場所)になった場所もあります。「福島プロジェクト・チーム」は何度も郡山市内を測定していましたので、大体の見当はついていましたが、求めがあれば「今実際にどうなっているか?」と測定してきちんと説明するのが私たちの基本姿勢です。ビッグ・パレット福島、郡山女子大学、開成山大神宮、JR郡山駅の東西の広場と南北自由通路など、気になるところはばっちり測定しました。ビッグ・パレット周辺は0.05~0.14マイクロシーベルト/時、郡山女子大学~開成山大神宮は0.08~0.20マイクロシーベルト/時、郡山駅前は0.08~0.14マイクロシーベルト/時の範囲で、いずれも通行したり集会を開いたりしても何の問題がないことが確認できました。
「分からなくて不安である」というときには、「実際に調べてみる」に限ります。調べた結果「怖がるようなレベルではない」と分かれば安心暮らせますし、調べた結果「これは要注意、近づかない方がいい」と分かれば日常生活でもそういうつもりで行動できるでしょう。
このような基本的なことが出来なくて困っているのが新型コロナウイルスですね。自分が感染しているのかどうかも簡単には分からないし、身の回りのどこにウイルスの汚染があるのかどうかもわからない。これは不安ですし、自分がどう振舞っていいのかも分かりません。放射能の方は100年以上の歴史があることもあって、割合簡単に測定できますね。福島で問題になっているセシウム137という放射性物質の場合、体にセシウム137が付着したかどうかを調べたければ、その場所に10秒かそこら検出器をあてがってみれば針の動きや測定器が発する音ですぐにその場で汚染の有無が分かります。新型コロナはそれが簡単には分からないのですね。大きな不安の元です。
私は80歳ですが、80歳以上の人は余り外に出て人と接触することもないから、感染者に占める80歳以上の人の割合は10%以下です。それにもかかわらず、院内感染や家庭内感染で高齢者がいったん感染すると、死亡者に占める割合は40%ぐらいにも達します。志村けんさんはそんなに高齢者ではなかったし、岡江久美子さんはまだ63歳の若さでした。ましてや私のような80翁ともなれば、「感染したらやばい」と思うのですが、放射能の場合ほど敵の居場所が分からないので、ひたすら閉じこもって人との接触を断つ生活に隠遁しがちです。私は結構気の多い人なので、絵を描いたり、自然観察をしたり、家の壁塗りをしたり(先日は現代版鳥獣戯画の絵を描きました)、本を読んだり、ウェブ会議に加わったり……、と寂しがっている暇もありませんが、そういう過ごし方の出来ない人もいてイライラが募ったり、家庭内の雰囲気も険悪化したりするケースもあるかもしれません。放射線の場合なら、実態を調べた上で「放射線防護学の基本4原則」(=①放射性物質を生活圏から取り除〈除染〉、②放射線と体の間に遮蔽物を置く〈遮蔽〉、③放射性物質から距離をとる〈距離〉、④放射線が高い場所に長いしまし〈時間〉)を実践すれば着実に危険から免れることが出来ますが、これは放射線の場合には測定器の進歩でかなりの程度「見える化」「聞ける化」が出来るようになったせいです。
新型コロナがまだこれが容易ではないのですね。洗った手には本当にウイルスはもうついていないのか、ドアノブにシュッとアルコールを噴霧するとウイルスは本当に不活性化するのか、スーパーに行ったり電車に乗ったりした靴の裏にはウイルスはいないのか……、気にし始めると大変です。科学者、技術者の努力で目に見えない放射線を感覚でとらえられるようになったことは、なんと有難いことでしょう。今度のコロナ騒動で、そのことを身にしみて感じたのではないでしょうか。
「隠すな、ウソつくな、過小評価するな」 「事態を侮らず、過度に恐れず、理性的に向き合う」
だから政府や行政機関には、私たちに代わって事態を科学的に把握し、包み隠さずに公表し、安易にいのちと経済を天秤にかけることなく、対策の理性的な筋道を指し示してもらいたいものです。この人類史的騒動の裏にあるべきものは「科学ファースト」の考え方であって、「政治ファースト」「経済ファースト」「人気ファースト」ではないでしょう。新型コロナウイルスの素性を正確に知るのも科学、薬やワクチンを開発するの科学、社会的にとった感染拡大防護策や中小企業救済策が有効だったかどうかを調べるのも科学です。
9年前の福島原発事故がもたらした最大の不幸は、「信の崩壊」でした。警告されていた津波の危険に対応し切れなかった大企業、原発に安全許可を与えていた行政当局、事故後も安全を吹聴していた専門家たち……、「信の崩壊」は容易には修復されません。 しかし、新型コロナウイルスの感染拡大を見るにつけ、原発事故の愚を繰り返すことなく、利害関係に毒されない科学者たちが「隠すな、ウソつくな、過小評価するな」の原則をしっかり認識し、事態と真正面から取り組むことが必要です。非常事態であればこそ、大胆な政策を実行し、医療の実践や、医学・薬学研究に必要な財源が投入されるべきでしょう。それはマスクを2枚ずつ配布する政策よりも緊急で重要なことのように思われます。ちょっと長丁場になりそうなウイルスとの闘いですが、忍耐力と創造力を組み合わせ、実態をしっかり監視しながら、「生きる」という行為の中にはこういう経験もあるのだ覚悟を決めて、さあ、ちょっと背伸びして水平線に目を向けてみましょうか。 私はコロナと闘いつつも、来年10年目を迎える福島原発事故の意味をくりかえし問い直しながら、被災者たちのこえに耳を傾け、「福島プロジェクト」を続けていくつもりです。