安斎育郎先生の「放射線防護学コラム」 vol7
安斎 育郞
経歴
東京生まれ。 東京大学工学部原子力工学科卒業。 同大学大学院工学系研究科原子力工学専門課程博士課程修了工学博士。「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」。立命館大学経済学部教授。「核実験停止を求める国際科学者フォーラム」に招待される。京都しり造形芸術大学非常勤講師として平和学を担当。
現在
立命館大学定年退任、名誉教授。
新型コロナ・ウィルス感染と放射能汚染
武漢発の新型コロナ・ウィルスによる肺炎の流行
「目に見えない危険なもの」という意味で、「新型コロナ・ウィルス」と「放射性物質」はよく似ています。見えないものはどこにあるかも分からないから不気味だし、どう対処したらいいものか、大変戸惑います。
でも、「新型コロナ・ウィルス」の方が「放射性物質」よりも厄介な面が少なくとも三つあります。
第一は、放射性物質の場合は、人の体に入ってから増殖することは絶対にありませんが、新型コロナ・ウィルスは人の体の中に入って増殖し、新たに他人を感染させる危険を増すことです。放射性物質はそれぞれの物質の物理的半減期に従ってだんだん減っていくとともに、生物学的半減期に従って体から排出されていきます。コロナは「増殖」、放射能は「減衰」です。
第二は、放射能は割合簡単に測定できますが、新型コロナ・ウィルスは測定がとても厄介なことです。福島で問題になったセシウム137の放射能によって体が汚染したかどうか調べるには、体の表面なら測定器をあてがえばすぐに測定できますし、体の中の汚染が心配な場合には、「ホール・ボディ・カウンター」という装置に10分ほど座っているだけで深刻な汚染があるかどうか、すぐに分かります。
つまり、感染の有無、汚染の有無の「見える化」の点でも、新型コロナ・ウィルスは厄介なのです。
第三に、新型コロナ・ウィルスの場合、肺炎が重体化すると死に至ることが知られ、とくに高齢者や持病を持っている人は感染から2週間ぐらいで死に至ったりします。放射能の方は、原爆被爆者とか核燃料施設での事故被曝者とか、よほど大量の放射線を一度に被曝した場合でない限り、そんな短期間で死に至るようなことはなく、何年~何十年先にガンにかかる危険性が少し上がるかもしれないといった感じで、あまりピンとこない程度でしょう。
このような「正体が見えないもの」については、「正しく怖がれ」なんて言われてもよく分からないため、デマ情報に惑わされがちです。
「デマの深刻さ」は、「事の重大さ」×「情報のあいまいさ」に比例するといいます。「感染者の中には死ぬ人もいる」というコロナ・ウィルスのケースは、人のいのちに関わる訳ですから、「事の重大さ」の点ではピカイチです。また、ウィルスが目に見えなくてどこが汚染されているのか分からないという点で「あいまいさ」も非常に高いうえ、何しろ「新型」だからその正体が未解明で、ワクチンも治療法も確立していないため、いったん感染したら先行きがどうなるか不透明だという点も「あいまいさ」を高める要因でしょう。
したがって、「デマの深刻さ」∝「事の重大さ」×「情報のあいまいさ」という公式に当てはめてみると、「重大な問題なのにあいまいさだらけ」という事態は深刻なデマを生じかねない厄介な事態と言わなければならないでしょう。
福島原発事故に対処する場合、私たち「福島プロジェクト」は、「事態を侮らず、過度に恐れず、理性的に向き合う」ことが重要だと訴えてきましたし、情報発信者がとるべき姿勢としては、「隠すな、ウソつくな、過小評価するな」という姿勢こそが重要だと考えてきましたが、それは新型コロナ・ウィルスの場合にも全く同じだと感じています。
しかし、ウィルスの「培養地」の観を呈したダイヤモンド・プリンセス号の場合をとってみても、「事態を侮らず」という視点は蔑ろにされた感じがしますし、感染経路不明の感染事例の増大を見るにつけ、「過小評価するな」という視点も軽視されてきた感がぬぐえません。とりわけ、「自分が感染していないか?」という疑問を氷解させる一番いい方法は感染の有無を分析してもらうことですが、それにはPCR検査が有効です。PCR検査とは“Polymerase Chain Reaction”(ポリメラーゼ連鎖反応)と呼ばれる検査で、目的とするウィルスを増やしてその有無を目で見て確認できるようにする検査法です。「中国湖北省帰り」とか、「37.5℃以上の発熱が4日間以上続いている」とかいった条件に合わない人は検査しないというのではなく、疑いを持った人が手軽に検査できるよう、民間検査機関の検査能力も目いっぱい活用して、保険適用で日本国中広く実施し、感染実態をありのままに確認することこそが、適切な対処方法を実施するうえでも最も重要なことでしょう。感染の有無について確認も出来ず、不安を取り残しておいたのでは、そこから不要な疑心暗鬼が生まれ、デマが発生する危険も生じるでしょう。「正しく怖がる」ためには、状況を正確に知ることこそが不可欠です。
スウェーデンから来た驚きのメール
新型コロナ問題で右往左往しながら日を過ごしていたある日、国際平和博物館ネットワークの理事を務めてもらっているスウェーデンのジェスパー・マグヌッソンさんから「トンデモ・メール」が来ました。彼はウプサラ平和博物館の館長を務めていますが、2011年以来彼が使っている事務所の空気中放射性ラドン濃度が基準の10倍を超えていることが分かったというのです!
ラドンというのは「ラドン温泉」でおなじみのガス状の天然放射性物質で、欧米諸国の方が日本よりも高い濃度を示します。もともとウラン鉱石やトリウム鉱石などの重い天然の放射性物質から生み出され、そこからしみ出してくる放射性物質ですが、ラドンは「不活性ガス」と呼ばれる気体で、周囲の物質と反応せずに、空気中をプカプカ浮いて漂っています。これを吸い込むと肺に放射線被曝を受けることになり、肺がんの発生率が増えるのではないかと懸念されています。
日本の大気中のラドン濃度は15~16ベクレル/m3程度ですが、スウェーデンは世界でも最もラドン濃度の高い国の一つで、平均で108ベクレル/m3ほどもあります。ここで、「ベクレル」というのは「放射能の強さの単位」で、「1秒1発1ベクレル」と覚えましょう。つまり、1ベクレルの放射能があると、そこでは1秒間に1発の割合で放射性物質が放射線を出しています。
ところが、彼のメールによると、事務所の空気中には「2000ベクレル/m3」を超えるラドンが検出されたというのです。被曝線量に換算すると年間200ミリシーベルト(mSv)もの被曝に当たりますが、これは京都で生活する私の年間自然放射線被曝線量の約100倍に当たります。
これは、床下などから湧き出して事務所に侵入してくるラドンをシャットアウトする構造上の改良をしなければならないでしょうし、気になれば心の安らかさのためにも、一度肺の検査を受けた方がいいでしょうと助言しておきました。
この1か月は、新型コロナ・ウィルスやラドン・ガスなど、目に見えない曲者に気を病んだ日々でした。