第3回 キャリアを考える
キャリアについて3回目です。
某市の相談事業で夕方、仕事帰りにちょっと立ち寄って相談出来るように駅に近い建物の一室でキャリアカウンセリングをしています。
相談内容は様々です。職場で上司と上手くいかない。最近、体調が優れない。幼い頃からの夢を実現させたい。仕事をしようとしない息子の将来が心配、生活費が足らなくなってきた、商売が上手くいかない等々・・この事業を15年ほど継続して関わらせていただいていますが、今でも時々、ふっと思い出す話があります。私はかなり前にお会いした方でも、結構、話の内容は詳細に覚えているのですが、お顔は全く覚えていません。
相談をしている時は表情や身振り、持ち物、動作をみてはいるのですが、外でお会いしてもどなただったか思い出せません。話を聞いている内に以前、伺ったことが思い出されて繋がっていきます。他の場所でお会いしても仕事がら、こちらから声をかけることはしないのでそれもありかなと自己肯定的に捉えています。
思い出す話ですが、6年ほど前のこと、前日に役所の相談受付に電話で予約が入ったようです。通常、1時間の相談が基本ですがその日は他に予約がなかったので、3時間、話を聞きました。施設が閉館するというので終わりました。
19才女性格好は特別に地味でもなく派手でもなく、街中で普通に出会う娘さんという感じでした。話の内容は「明日が20才の誕生日、小学生の頃から20才までは生きようと考えていた、明日が20才なので相談に来た」ということでした。3時間が経ち、閉館時間になり一旦、相談は終わるけれど何かあればここに電話して欲しいと「いのちの電話」の電話番号を渡そうとしたら「それは、生きたい人が必要であって、私には必要ありません」と言われてしまいました。私は自分が彼女の悩みの重さに対してとても無力であると感じました。今でも、その街を歩くと彼女がいないかと、探します。
はたち迄を生きる目標を持って毎日を引き算して生活していた彼女が相談に来てくれたことは彼女のなかには、生きたいという思いがあったからではないかと思っています。
生きたい思いと、今まで人生の目標にしていた20才には人生を終える、との葛藤が彼女にあったのではないかと思います。それからお会いしてはいませんが、きっと、この街で生活していると思っています。
最初の回でキャリアとは、その人が生まれて亡くなるまでの人生の役割、すなわち、ライフキャリアのことをいう、と書きました。今回はレビンソン(発達心理学者)の説を紹介します。私達の人生には今までの生き方とこれからの生き方の節目があると考えます。
“人生の四季”と言います。「人生は冬が来ればまた再生の春が来るというサイクルを成し、比較的安定した時期と、季節の間のような不安定な時期のくり返しである」(レビンソン説)人生全体は大きく児童期―青年期(0-~22才)成年前期(17~45才)中年期(40~65才)老年期(60才以降)の4段階に分け、各段階の間には不安定な過渡期があると考えられます。大学生の時期は成人前期に移行する過渡期、不安定な時期です。これを乗り越えると成人前期を迎え企業、組織で自分の立ち位置を見つけ自分のライフスタイルを確立します。
安定した時期と言えるでしょう。次の不安定な時期は30才、この年令の相談も多いです。自分の働き方、生き方(結婚)について考える過渡期です。人生はこのように安定した時期と不安定な過渡期を繰り返しています。
「人生は連続した一定不変の流ではない、質的に異なる季節からなり、それぞれの季節は独自の性格をもつ、ある季節はその前後の季節と共通点も多いが、全く別個の存在である。
各季節のもたらすイメージは様々である。」レビンソン秋の静かな夕暮れに虫の音を聞きながらご自分の人生がライフサイクルのどの時期なのか
先人の理論を基に考えてみることもお勧めします。
– WRITER-
田中晶子
資格
シニア産業カウンセラー
2級キャリアコンサルタント技能士
現職
企業、官公庁のカウンセラー、キャリアコンサルタント、研修講師独立行政法人産業保健総合支援センター、メンタルヘルス促進員
講師経験
若年者自立支援、21世紀財団キャリアコンサルタント、滋賀男女参画センターキャリアコンサルタント、THP支援専門家等
東京出身夫の転勤で30年前に京都に移住、NHKのニュースで、日本で初めて戸建てコーポラティブを造ることを知り参加、現在、大津市在住。
キャリア
自宅で英語教室主宰、老舗旅館で管理職と同時進行でカウンセラー資格を取り転職
社会活動経験
ガールスカウトリーダー(京都)、異文化NGO(南米)、滋賀女性リーダーの会
AginginPlace(住み慣れた場所で美しく暮らす)会実行メンバー