自然暮らしコラム

3月、あの震災から10年ということで、新聞やテレビでは連日のように様々な報道がありました。10年たちましたが、3月はやはり、心が騒ぎます。飯舘の友人は「花は咲くの歌、大嫌い」「ふるさとの歌なんて、涙しか出ないから歌いたくない」と言います。私も、花は咲く、ふるさとを聞くと、避難していなくても涙が出ます。また飯舘の別の友人 は「放射能より、コロナのほうがひどいな」と言います。確 かに、測定できない怖さ、どこが汚染されているのかわか らない不安など、放射能とは違う怖さがあります。二人と も、飯舘村に帰還しています。「もうからなくていい、みん なが集う場所が欲しい」とレストランを作ったり、同じ区 の方々と力を合わせて。エゴマの畑を栽培したり、区の情 報誌を作ったりと、活動しています。どんな災難にも負け ない明るい希望をもつ大切さを教えられています。

このところ温かな日が続き、梅、山茱萸(サンシュユ)、椿、辛夷(コブシ)、クリスマスローズなどが次々と咲き、またウグイスの初鳴きも聞きました。山里にも春がきました。蕗の薹(フキノトウ)も顔を出しました。明るい黄緑色のつぼみが、あたりを明るくしています。いつものところに出てこないので、心配し、待ち焦がれていました。まだ固いつぼみですが、早速摘みました。家族に、「何にする?フキ味噌?天ぷら?」と聞いたら、「それは、天ぷらに決まりでしょ」と言われました。確かに、初物のフキノトウ、天ぷらで食べたいよな。と思ったら、急に手打ちそばが食べたくなりました。「じゃあ、手打ちそばですね」と念を押し、次の日は手打ちそばとされません。梅やブラックベリー、柿もセシウムの心配をフキノトウの天ぷらに決まりました。フキノトウのやわらかな苦みと香りが手打ちそばとぴったりで、春を思い切り味わうことができました。
こんなささやかな幸せを再び喜べる日がくるとは、あの時は思いもしませんでした。もう永遠に、山菜は取れない、土は触れない、野菜は作れないと思いました。「耕すな」の回覧板がまわり、田畑は例年のように耕す人はいませんでした。山菜やキノコの汚染が報道され、フキノトウも、タラノメも摘みませんでした。自然暮らしを実践し、本も出していた私は、すべてのものが否定されました。
「終わった、自然暮らしは終わった」と口癖のようにつぶやいていました。農作物を植えられない畑には、観賞用に麦をまき、庭にはレンゲソウをまきました。せめて花を楽しみたいと思いました。ところが、汚染された畑で勝手に育ったカボチャが10個以上も大きく育ち、しかも測定したところ、セシウムは「検出せず」でした。思わず、神さま感謝しますと 祈っていました。
まわりの有機農業者たちは、汚染を減らすために研究者たちとタッグを組み、様々な工夫をして栽培を続けていました。「終わった」などとつぶやいていた私とは大違いです。そして今では昔のように何でも作れる畑になっているのです。我が家の畑も、今はどの農作物もセシウムが検出されません。梅やブラックベリー、柿もセシウムの心配をしないで収穫できます。どの作物も採れたら測定が必須でしたが、今は、畑の作物はどれも検出せずなので、測定もしなくなりました。フキノトウを摘める喜びが、永遠のものではないと知ったことを忘れずに、豊かな自然との付き合いを続けていきたいと思います。
境野 米子(さかいの こめこ) 先生
生活評論家・薬剤師1948年 群馬県前橋市に生まれる。
千葉大学 薬学部卒。
著書は最新では「無塩の養生食」創森社(2020年) 他多数